スポットライトが眩しく、俺の目に映る、その光の先にいるはずの観客はこの目では確認する事は出来ない。降りて来る緞帳の気配を頭上に感じながら見えない観客に深々と頭を下げていた。緞帳が床に触れた瞬間から舞台上は慌ただしく、さっきまでの時間が止まったかのようなお辞儀はなんだったのかと思うほどバタバタとしていた。
得点を競うコンクールと言う訳ではない、普通のサマーコンサート。一般の人に見てもらえる良い機会なんだけど、それほど力が入っていない。と言っても今日の出来は悪かったと言わざるを得ない。音程の部分を司っているクラリネットが良くなかった。その原因も分かっている友哉だ。あいつのクラリネットは練習の時から、上手くいった試しが無い。指揮をしている俺から見れば、もう辞めてくれたらいいのにと思うほどだった。忙しく楽器と椅子を片づける皆、指揮者である俺は、この吹奏楽部唯一のパーカッション、ドラムセットの片付けを手伝っていた。
「今日も友哉だったな」
ドラムセットの解体を手伝っていた俺はボソっと呟いた
「あいつには多分音程と言うものが存在していないんじゃないのか?」
「ああ言えてる。なんであいつは吹奏楽部を選んだんだ。選択ミスだろ」
「でもあいつってドラム希望なんだろ?」
この吹奏楽部のリズムを担当してくれている康介が言った。
「え!? そうなの? でも、このクラブにはお前がいるから、それはまぁ無理な話だな」
俺はそうだろ?と促すように康介の腕を軽く叩いた
「そりゃー言えてるな」
康介は笑いながら、スネアドラムを持ちあげて運ぼうとしている。そんな康介に俺は
「正直、友哉ってほとんどコミュニケーションもとらないし、何だか話しかけにくいんだよな、たまに気使って教えようとしても心ここにあらずって感じでさぁ、教える気もなくなるっつーんだよ。クラリネットも下手糞だし、俺から見たら邪魔でしかないんだよな~」
ポロっと出てしまった本音にヤバいと思った俺はすかさずにフォローした
「冗談、冗談」
目線だけをこちらに向けた康介は
「いや、みんないい演奏をしたいって気持ちだから、思ってるんじゃないかな迷惑だって」
持っていたスネアドラムを一旦下ろし、康介は人差し指を立てて口元に当てた。
それを見た俺は小さく頷きながら了解。と言う合図を送って、ハイハットスタンドを持ちあげ舞台袖へと運んだ。
今日は3曲披露して最後の曲に導入から全パートが一気に入る「ウィル・ビー・バック」をやった。この導入部分はどれだけ練習してもなかなか揃わない、それだけ難しい曲だ。
まぁ今日に関しては、最初だけの問題では無かった。あいつさえいなければ、心の中で何かが燻り始めていた。
サマーコンサートも終わり、吹奏楽部にとっては一時の休息の時期で1週間の休みがある、学校が夏休みでクラブも休みとなると急に暇になって、俺は康介を誘ってショッピングセンターへ出かける事にした。学校近くにある立石橋で待ち合わせ、立石橋までは俺の家から自転車で15分ぐらい、その道の途中に友哉の家もある。ジリジリと照りつける太陽が行く手を阻む、流れ出る汗を手のひらで拭いながら自転車を漕いだ。少しでも太陽から逃げようと川沿いに綺麗に並んだ大きな木の陰の下を走り続けた。そんな強い日差しと木々の陰が交互に俺の体を駆け抜けていた時、友哉の家が見えてきた。友哉の家を視界に捉えたからなのか、どうしてこいつは吹奏楽をやろうと思ったのだろうなんて事が頭をよぎった。練習は真面目に来るけど、なかなか上達しないクラリネット。上達しない事はまだ許せるとして、こちらから教えようとしてもなんだが壁があるようで話しかけづらい、そんな事もあって虐めているわけではないがクラブの皆とも少し距離がある。まぁ協調性がないって事だ。これは吹奏楽部員としては致命的だ。最低限邪魔にならない程度に合わせられているならまだ許せるが、そんなレベルの演奏も出来ないとなると面倒を見きれない。顧問の先生の方針でうちの吹奏楽部は全員参加を決めているから、外す事も出来ない。正直、今年のメンバーは副部長を務めている俺から見て、かなり優秀だと思う。友哉さえ居なければ、年末のコンクールではいいところまで行けるはずなんだ。そんな事を心に思いながら、なんだか疎ましく思う友哉の家を通りすぎた。友哉の事を考えていたらなんだか怒りが沸騰したお湯のように沸いてきた。逃げ水が見えるアスファルトの上をイライラとしながら立石橋へと向かった。そんなイライラが時間感覚を麻痺させていたのか、あっと言う間に立石橋につき康介が橋の上で待っていた。
「悪い!遅くなった」
「全然!俺も今来たところ」
この暑い中で康介はあまり汗をかいていない、涼しげな康介が涼しげに答えた。
それを見た俺は
「友哉の家の前を通ったから、つい友哉の事を考えて余計に汗だくになったわ」
「あいつの事なんか考えてたら、そりゃー暑くなるだろ」
と言って自転車のハンドルにもたれかかりながら笑っていた。
「友哉の事なんかいいから早く行こうぜ」
ショッピングセンターの方に向かって指を立てた右手を爽やかに振って合図してみせた。
川沿いの道を二人で並んで自転車を漕ぐ。街路樹の陰を今度は二人で奪い合って俺達はショッピングセンターを目指した。
建物に入ってすぐにエアコンの風が当たる場所を探して、全身から溢れ出ていた汗を乾かした。
「生き返るぜ」
シャツの首のところをパタパタと仰いで冷たい空気を体の中に流し込む。
じっとりと体に纏わり付いた水分は急激に冷やされ、ブルルっと身震いをした。
「さむっ」
「たしかに」
そう言って今度はシャツの裾の部分を広げて全体に風を送り込んだ
「だいぶ汗も引いたし、行こうか!」
と言った俺に、待ってましたと言わんばかりの頷きを見せた康介。目的の店は決まっている。少し早足でその店を目指す。
只今のお時間20%オフでーす。なんて大きな看板を手に持ってアピールしている人達には見向きもせず、二人は競歩の選手になったかのように決して慌ててはいない振りをしながら、ほぼ走っていた。小学生の遊び場と化している、その場所。だからこそ俺達は大人の振る舞いを心がけ、その店舗へと吸い込まれて行く。色んな楽器が並んでいるその場所は、俺たちにとっては最高の場所である事に間違いはない。
俺は副部長と言う責務があって全員の担当などを決める役割にいる、部長は女子のリーダー上川琴美が務めている。でも彼女はフルートを担当したいと言う事もあって、俺が指揮を引き受けた。この琴美と俺がメンバーの担当楽器や演奏曲の相談して顧問の先生に連絡する。うちの部は生徒が必ず指揮に入って、全員で作り上げるのがルールだから、誰かが指揮をしなければならない。本当ならば俺は、トランペットをやりたかった。先輩からの任命方式で決まる部長と副部長。そしてそのどちらかが指揮に入らなければならないと言うしきたり。琴美と俺の間で秘密裏に行われた絶対に負けられない戦い、じゃんけんで俺が負けたのだ。表向きは俺が譲ってやった事になっている。
女子人気の高いフルート、男子人気のトランペット、倍率の高いトロンボーンやチューバなどを男子から選び出し、数少ないサックスやピッコロなども選んで行く、もちろんドラムはたった一人!自宅に電子ドラムセットのある康介が勝ち取ったのも当然だった。みんなそれぞれに希望はあれど叶うとは限らない。そうして担当が決まらなかった人がクラリネットへ行くと言うのが、うちの部の流れだ、クラリネットが不人気って訳では無い、ただ数が多いから、何人いても困らないと言うだけ。
俺だってトランペットをやりたかった。そんな思いを噛み締めて棚に並んだトランペットを眺めていた。とても自分のお小遣いで買えるようなものではないし、俺はこの吹奏楽部のコンサートでは吹く事は出来ない。手の届かないものはとても美しく綺麗に見えるものだ。天井の蛍光灯が金色に光るトランペットを更にキラキラと輝いて見せていた。
あんな会場で俺がトランペットを吹けたら。そんな想像を膨らましながら、サマーコンサートのあの景色が頭の中を駆け巡っていた。
「おい、聡」
康介が俺の耳元で小さく囁いた。ふと振り返って康介の方を見ると、小さく親指を立てて、向こうの方を指していた。その親指が指す方向に目をやると、そこには友哉がいた。
ドラムセットの前でそのセットを覗き込むようにして見ていた。
「なっ!言っただろ、あいつはドラム希望なんだよ」
ふーんと素っ気ない返事をしながらも目線はずっと友哉を見ていた。
「あんなに真剣にドラムを見る姿勢はあるのにクラリネットは全然出来ないってどうゆうことなの?」
皮肉めいた俺は更に続けた
「だいたい、やりたくない楽器だったらやらないって言うのが気にいらないんだよ」
「やらないって言ったわけじゃないんだろ」
と落ち着けと言わんばかりに俺の肩を叩いた康介に
「でも出来てないじゃないか! 俺だってトランペットがやりたかったんだ!」
一瞬、康介と目が合って凍りついたような空気が流れ決まり悪そうな表情をした康介はそのまま視線を落とした。
「いや、お前に言ってるんじゃないんだ、ただ自分の好きな楽器を全員が出来ている訳じゃないって事、音楽が好きなら、もっと真剣にクラリネットをやってほしいって思っただけなんだ」
「まぁそう熱くなるな。俺も新しいドラムセット見たかったけど、友哉があんなに噛り付いてたら見る気が失せるから帰ろうぜ。俺も友哉は嫌いだから、お前の気持ちは分かるって」
そう言った康介は俺の腰の辺りを後ろからトントンと叩いた。友哉に見つからないように楽器屋を後にした。来た時とは足取りが全然違う、入ってきた場所までがとても遠く感じた。
ショッピングセンターの外は眩しい光と熱気が太陽から降り注がれている。暑そうだなと小さく呟いて外を眺めた。ガラス一枚を隔てた先に花壇があり、そこには真っ直ぐに上へ上へと大きな花を咲かせた向日葵が並んでいる。なんだか友哉のせいで嫌な気分になっていた俺はその暑さの中しっかりと花を咲かせている向日葵を見て思った。どんな環境でも腐らずに頑張らないとダメなんだ。あいつみたいに……今まで、小さく燻っていた怒りの炎が燃え始めた気がした。
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