波がすべてを

「男の子ですね」そう言われたのは20週目の事、あれから1ヶ月が経ち、定期健診で訪れた病院で心停止と言われた。

結婚して5年なかなか授からなかった子供、そして私達にやっと授かった子供。

原因は分からないが、この子は生きる事を辞めてしまった。


小さな仏様を飾った仏壇その前に小さなお骨壷がある、その中にあの子。男の子と分かった時から決めていた名前、拓斗(たくと)がいる

拓斗の前には、乳幼児用のジュースがコップの中に注がれ、乳幼児用のお菓子が封を切って小皿に置いている。このお菓子とジュースは毎日新しい物と変えて、いつも拓斗に謝っている私。

「私がもっとしっかりしておけば、私がもっと頼れる母だったら、拓斗は生きる事を諦めずに済んだのにね、ごめんね」そう言って泣いて毎日を過ごしていた。

「お前が悪いんじゃないよ、仕方がなかったんだ」後ろからそう言ってくれる夫、圭介がいる。

分かっているけど、簡単に割り切れない。やっと授かった拓斗、24週間も一緒に過ごしてきた拓斗なんだから・・・・・・

「うん。わかってる」私はこう答えるのが精一杯だった。圭介もそれ以上何も言わなかった。

私は仕事を休んでいるが、圭介は毎日仕事に行ってくれている。こんな状態の私を心配して、午前に一回、午後から一回、そして夜が遅くなる時には、7時には必ず電話をくれる。その電話は私が間違った行動を起こさないように、そう思って掛けてくれている事も知っている。自分を責め続ける日々が続き、今までと違う雰囲気である事を圭介は分かっている。それもそうだと思う、自分が生きている事が許せなくなる。自分より大切な存在である拓斗を失って、それでもこの世界で行き続けなければならない、こんな感情を永遠に持ち続けて生きて行くなど、考えただけでも、その苦しみは想像を絶する。これから先にも私の中に拓斗の存在があって、今後そんな拓斗を置いて、幸せになっていいのだろうか、笑ってもいいのだろうか。最近は食べるものも出来るだけ質素のものを食べている、それは、豪勢なものを食べる罪悪感があり、私は人として生きる最低限の事以上は何もする権利がないと思っている。それを知っている圭介は毎日、なんとか私に食べさせようと言う優しさを持ってプリンやケーキを買ってきてくれる、でもそれを自分の口には運べない。そんな権利は私には無い。それは全部拓斗のものだから・・・・・・


ふさぎ込む毎日拓斗が亡くなってから5ヶ月が過ぎた。私は相変わらず、何もする気が起きない、いや何かをする権利が無いとそう思っている。圭介が後ろから肩を叩いた。

「少しずつでいいから、元の生活を取り戻して行こう。紗希は悪くない。だから、ゆっくりでいいから前を向いて行こう」

圭介は本当に優しい、そしてこの優しさに私は甘えているのかもしれない。でも

「うん。わかってる」やっぱり、こう答えるのが精一杯になる、ほんの僅かな静寂を経て、今日は圭介が続けた。

「少しだけでいいから、俺のわがままに付き合ってくれないか?あぁ~まぁ少しじゃないかもしれないけど」

そのわがままの内容も分からないけど、私は「うん」と答えた。その時は、そのわがままの内容の事も考えようとも思わなかった。

それから、いつもと同じ日々が続く、あのわがままとは何だったのかな?ふと思う事も無かった訳では無いが、毎日の電話もいつも通り、デザートもいつも通り、私も拓斗の前でいつも通りだった。

圭介が、こんな事を言ったのは、あの話から1週間後の事だった。

「明日、朝から出発するから、3日は帰らないよ、仕事は休み取っているから大丈夫」

突然だった。さすがに無気力な私も戸惑ったが、意見や抵抗をしようとまで思わなかった。この何ヶ月か明日生きる事さえ辞めようかと思っている私だから、結局この言葉にも

「うん、わかった」とだけ答えた。


出発の朝、行き先や目的地も私は知らない、ただ言われるがまま車に乗り込もうとした。その時、圭介は笑顔で

「拓斗も連れて行くから、連れてきて」と言った。

無気力な私もさすがにびっくりして

「連れて行くって?」そう聞いた

「え?なんで、お骨壷あるじゃん、一緒に行こうよ」笑顔で答える圭介

連れていくと言う感覚はまったくなかった私、そうあれだけ拓斗の事ばかり考えていたはずなのに、私には連れて行くと言う感覚はなかった。どちらかと言えば持っていくと言う言葉が一番近いような気がしていた。びっくりしたけど言われるがままにした。お骨壷を持ってきたら、圭介はかわいいデザインの木の箱を出してここに入れてと言った。その箱の大きさはまるで測ったかのようにぴったりで、その箱を置いておく場所もきちんと車の後部座席に用意されていた、移動中もその箱が固定出来るようにシートに大きな台が置かれていた。

「拓斗もシートベルトオッケーだな」そう言った圭介は車を走らせた。

私達は滋賀県の北の方、日本海が目の前にある所に住んでいる。出発した方向は南、私は圭介にどこに行くの?と聞いた

「う~ん、どこに行こうかな~」と、はぐらかす圭介

私はまぁいいやと思っていた。なんにしても私は、明日生きる事さえも・・・・・・そう思っていた私も今はどこに行くか気になったみたいで、そんな質問を圭介にしていた。

車はゆっくりと南の方へ向かう、2時間ほど走っただろうか、湖が見える駐車場へと車を止めた。

ここがどこかぐらいは分かる小さい頃から何度も来た事がある湖、琵琶湖だ。圭介は車を降りて後部座席の拓斗も降ろす。さぁ行こう紗希。そう言われた私は、圭介と一緒に湖を見に行った。

大きな松の木の間にベンチがあってそこに座った圭介、私もすぐ隣に座った。

「なぁ拓斗、ここが琵琶湖って言うんだ、日本一の湖なんだぞ」自慢げに説明する圭介

「ここはな、家からも近いから、これからもきっと何度も来ると思うぞ。パパもママもこの琵琶湖にはよく来るんだ」

私はなんだか嬉しい気持ちになった。まるでそこに拓斗がいるように思えたから。そんな圭介はまだ、琵琶湖の雑学を拓斗に披露している。分かるはずもないのにって思いながら、何ヶ月ぶりだろう、クスっと笑っていた。

「よーし拓斗、次はなぁパパが好きな美味しいものを食べに行くぞ。この琵琶湖の南の方に大好きなところがあるんだ、今日はそこに泊まるぞ」そう言って拓斗と一緒に車に歩いて行った。私はその後ろを付いていくだけだった。結局寄り道を繰り返して、私達がその宿に着いたのは夕方だった。その宿は圭介と私が昔一度泊まった事のある旅館だった。部屋の窓からは琵琶湖が一望出来て、ここすごくいいねって言っていた事を思い出した。部屋での食事を選んでいた圭介、晩御飯に出てきたのは、近江牛のステーキ定食が二人前と、離乳食のお子様セットだった。

「もう4年前になるのかな、覚えてる?ここ紗希が気に入ってた、あの同じ部屋にしてもらったんだ」そう言った圭介は今度は拓斗に向かって続けた

「パパとママの思い出の場所に今度は拓斗も一緒に来れたな、どうだいいだろ、今はもう暗いから見えないけど、明日の朝、楽しみにしとけよ、ここの部屋から見える景色は最高にいいんだ」

そう言いながら、圭介はご飯を食べていた。そしていつの間にか私も、その話を聞きながら一緒に食べていた。そう言えば、お肉なんて食べたのは何ヶ月ぶりだろう、とてもおいしいと感じた。

「紗希、ご飯終わったら、温泉行ってこいよ、拓斗は俺が見とくから、いつもお前に任せっきりだったからな今日ぐらいゆっくりお風呂入ってこいよ」

昨日までの私だったら、別にいいよって言ってたかもしれない、でも今日は違った。

「わかった、行ってくる」と答えた私がいた。その日の夜は明日はどこに行くのだろうと、そんな事を思いながら、ほんの少し楽しみな気持ちをもって眠りについた。

朝、私が目覚めた時、圭介は拓斗を抱いて、窓際に立っていた

「見てみろ拓斗、いい景色だろ、パパとママが好きな景色だ。ここも、またいつか来ような」

拓斗に言っているのは分かっていたけど、私が「うん」と答えた。


「よーし、出発だ!」そう言った圭介

「今日はどこ行くの?」と聞いた私

「どこにしようかな~」と考える振りをしている圭介

この宿の予約の事を考えたら、今日の行き先も決まっているくせにって思って、私はちょっと笑った、そして

「お任せします」と私は言った。

車は京都を越えて大阪まで走った。そう言えば二人で大阪まで来たのは一度だけだったかもしれない。私達が行った事ある場所。そう考えた私は大きな水族館の事を思い出した。大きいサメがいると話題になって、私が見たいと言い日帰りで行った事を。きっと今日の目的地は水族館だと私は思った。お昼過ぎには、その大きな水族館にいた。やった当たった!と心で喜んだ私だった。それは言わなかった。車から拓斗を降ろして、圭介は

「見てみろ拓斗、大きいだろこの建物この中はな~すっごい大きい水槽があって、いっぱい魚が泳いでいるんだ」

「あ、お前、魚って何か分かるか?」そう拓斗に聞いている圭介

こんな感じで水族館に入ったら、もう一日中出てこれないなって思いながら

「いっぱい教えてあげなきゃいけない事があるね」って言って私は笑った。

予定通り、水族館は長くなった。さすがにもういいでしょって思うほど、圭介は説明している。隣に私がいなかったら、ちょっと変な人って思われちゃうよって思うほど一生懸命説明していた。私はその説明を拓斗と一緒に真剣に聞いた。出てきた時はもう薄暗かった。

「宿までまだまだ遠いのに~長く居過ぎた~」と言いながら

途中コンビニでおにぎりを一つずつとビスケットを一つ買って、急いで予約しているであろう宿に向かった。

ウトウトとしてしまった私、気がつけば、宿についていた。じゃ、じゃ~んと言った圭介だったけど、寝ぼけた私には、何が、じゃ、じゃ~んなのか分からなかった。

兵庫県の山の上の温泉旅館。この旅館の部屋からは、神戸の夜景がすごく綺麗に見えた。

「うぁ~!」と年甲斐も無く、驚く私、その横で圭介は、拓斗の事も抱っこしていた。

「途中で寝てくれてよかったよ、来る途中の道でこの夜景が見えてしまうからさ感動が減るだろ、だから寝ていてくれてちょうど良かった」

そう言って笑いながら、今日もやっぱり部屋食にしていた圭介。用意していたのは、神戸牛ステーキ御膳が2人前と乳幼児のお子様セットだった。

「またステーキ?」と言ってツッコミと入れている私

「肉は体にいいんだ」と言って、しっかりと食べ始める圭介、結局私もしっかり完食していた。

今日も私は明日はどこへ行くんだろうと、遠足の前の子供の様なワクワクした気持ちを持って眠りについた。


3日目の朝、今日は初家族旅行の最後の日だ。

「今日はパパが行きたかった場所へ行こうと思う、わがままに付き合ってよ、最後まで!」最後までの部分を強調して言った圭介は、この言葉を私に言ったのか拓斗に言ったのか分からなかったけど私は

「うん!どこでもついて行くよ」と答えた。

朝8時に宿を出発した、今日は長距離を走るから覚悟しといてと言ったのは自分に言い聞かせたのかな?私と拓斗は座っているだけなのに。そんな圭介は車を走らせた、兵庫県を出発して大阪を越えて和歌山へと車を走らせる、途中で休憩も入れながら、和歌山に入って行く、和歌山に入ってからも長く走る、ついた先は和歌山の一番南の端だった。もうこれ以上南にはいけない、その先には海しかない、そんなところに車を止めた

「ここ」って聞いた私

「うん」って答えた圭介

さぁ行こうと言って車を降りて拓斗も降ろす。どんどんと海に近づいて行く。海は目の前に見えるけど波打ち際までは歩くと結構遠い、それでも圭介はどんどん歩いていく、綺麗な砂浜が続き、とうとう波打ち際まで来た。そして、その砂浜に腰を下ろした。

「なぁ拓斗、パパは今まで一度もこの海を見た事がなかった、ここは太平洋と言って、すごく大きな海なんだ、家の近くにある日本海とはまた違う、そうパパはここを見たかったんだ、パパは30年生きてきて、この海を初めて見る、でも拓斗はもう見れた。最高だなお前。お前はこの三日間だけでもパパ達が歩んだ道も、これから歩んで行く予定だった道も全部見れたな。楽しかったか?なぁ紗希、紗希は拓斗の事を自分のせいだって責めてるけど、そんなに自分を責めている姿を拓斗が見たらどう思うかな、そんな姿を見せてやるより、もっと元気に笑って楽しんでる姿を見せてやった方がいいんじゃないかな?もし、拓斗の事がずっと気になるならいくらでも一緒に連れてきてやったらいい、どんなに悲しんでもどんなに楽しんでも紗希は拓斗のママだし俺は拓斗のパパだ、それは変わらない。でも、拓斗の体は残念だけど神様が連れて帰ってしまった。まだ拓斗はこの世界で生きるだけの準備が出来ていなかったのかもしれない。拓斗の事、忘れろとは言わない。でも拓斗の存在をマイナスにしないようにこれから生きてほしい、紗希にとって拓斗の存在の重くなる部分はここに置いていく。紗希にとって重くならない拓斗だけ連れて帰って、明日からは拓斗存在のプラスの部分だけをしっかり見て前を向いてほしい。」

そう言って圭介は立ち上がり、大きな棒を持って、砂浜にひらがなで「た・く・と」と書き始めた。書き終えた圭介は、持ってきていたお骨壷を出して

「拓斗、ママの心をほんの少しだけでも軽くしてあげたい、ちょっとだけ協力してくれ」とそう言ってお骨壷を開けた。

ほんのひとつまみだった、圭介はそのほんのひとつまみの粉骨をその名前の上に置いた。

「紗希、お前の責任は、もう神様に、この大きな海に返した。明日からは大切な拓斗と自分の為にこいい思い出を作って行こう、これが俺のわがままだ」

そう言って圭介は海に向かって手を合わせた

「紗希の苦しみと拓斗の苦しみを預かって下さい。お願いします」

圭介は私をその名前を書いている場所まで促した。ここに。そう言って名前の書いているその場所に座った。

太陽は赤く染まり、水平線のその下に向かってゆっくりと沈んで行く。その夕日を見ながら、拓斗が亡くなってしまったその時から止まっていた私の時間が私の時計の針が、ゆっくりと動き始めたような気がしてした。波が寄せては返し、目では確認出来ないほどゆっくりと、その波達は拓斗に近づいているんだろうな、色んな事を考えつつ穏やかな時間が流れる、ふと気が付けば、たくとの名前は少し波が消してしまっている。たくとの名前が完全に消えたのは、それからどれくらいの時間が経った時かも分からないけど、でもたくとの名前は完全に波に消された。それを確認した圭介が立ち上がり、

「紗希と拓斗の苦しかった部分は、この大きな海が預かってくれたよ。でも楽しい部分の拓斗は、ここにしっかりといるんだ、そうだろ?ママ」

かわいいデザインのその木の箱を持ち上げて、そう言った。

時間は18時を過ぎていた。もう十分だった。私の心は、私の気持ちはしっかりと明日を見ている・・・・・・・ありがとう圭介

「ねぇ、ここから家までどれくらいかかるの?」

「さぁ~どうだろ~6時間ぐらいかな?いいよ、ママは寝ときな、起きたら家についてるさ」

「ううん、いっぱい話したい事あるから、これからの事、拓斗の弟や妹の事も考えなきゃね、いっぱい話しながら帰ろう、運転よろしくね、パパ」

完全に沈んでしまった太陽と入れ替わるように光をもたらす月明かり、水平線をぼんやりと照らし波の気配を感じさせる、寄せては返す波の音が私の背中を押してくれた。前に進んでいいんだと。そんな気がした。

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ABOUTこの記事をかいた人

石橋を叩いて壊す。渡らなければ怪我はしない。そんな生き方をしてきた私が、何を思ったのか新しい事にチャレンジしてます。いつか短編小説を本として出したいと言う目標を持って小さな一歩を踏み出しました。パソコンが得意では無く、もちろん物語など書いた事がない私がブログ書いて行こうと思います。