大きな選択
「お父さんが部屋の片付けをしてるから佳苗、ちょっと手伝ってきてあげて」
そう母に言われて私は二階の父の部屋に行った。
「お父さん、何か手伝おうか?」
「おぅ、じゃそれをこっちへ並べてくれるか?」
父の部屋は本が多くて片付けは大変だ
「お父さん、ちょっとは本減らしたらどうなの?」
返事はなかった。私は乱雑に積みあがった本を文庫サイズと単行本サイズなど大きさに分けて本棚に並べていた。本棚の奥から写真立てが落ちた。あっ!と思ったがそのまま床に落ちてしまった。それを見た父がすぐにそれを拾い上げて、何事もなかったかの様に自然と隠した。ただそれを落としたのは私で、すぐに拾い上げて隠すなんて事をしたら不自然になるに決まっている。
「お父さん、その写真何?」と聞いた私に
「なんでもない」と答えた父
「なんでもなかったら見せてよ」と食い下がる私
「もういいから!」強めに返ってきた返事に私はそれ以上何も言わなかった。
正月も過ぎ、正月太りってやっぱりあるんだなと思うように体重が増えていた私、高校三年でこの春からは東京に進出する事が決まっている。進出を言っても大学に行くだけなんだけど、岡山県に住んでいる私はそれを東京進出と呼んでいる。そんな東京進出を控えた私がちょっとだらしなくなるのが嫌だったので、ここはしっかりダイエットをしようと思った、健康の為にと毎朝ランニングをしている父と私は一緒に走る事を決意した。
「おはよう、おとうさん、行こうか」
「おぅ」と割と無口なお父さん、そんなお父さんと一緒に3キロ程度のランニング。
冬の朝は寒い、特に走り始めの時は寒くて行くのが嫌になるけど毎日頑張って走った。走り始めて2週間。だんだんと体も慣れてくる、お父さんはもういい年なのにドンドン走って行く、私もしっかりとついていけるようになっていた。家を出発して、まずは大きな道を少し走る、その先にある川に沿って曲がり、川沿いの田舎道を走る、次の橋の所を曲がって大きな道から家に帰る、これが毎日のコースだ。いつもと同じそのコースを今日も走っていた。そんな時、その田舎道を走っていた時に横にあった資材置き場から、小さい泣き声が聞こえた。
「待ってお父さん」そう言って資材置き場の方へ近づいた。
「どうした?」ちょっと気にした父
「クゥーン、クゥーン」
「子犬だ!お父さん。子犬だよ」
弱々しく歩いて擦り寄ってくる子犬
「お父さん、この子お腹空いてるんじゃない?」
「佳苗、もうほっときな、うちではどうせ飼えないから、可哀想だけどほっておくしかないよ。行こう」
「なんで?可哀想じゃん」
「可哀想だけど仕方ないから、ほっておきなさい」
「せめて何か食べるものだけでも、あげようよ」
「ほっておきなさいって言ってるだろ行くぞ」大きな声を出した父
「なんで、そんなに言うのよ。もういいよ私、何か取りに帰るから、お父さん勝手に行って」そう言って家に向かった。
父と別れた私は家に帰って食パンと牛乳をペットボトルに移し変えた物を持って行った。お父さんとは入れ違いになったのか会わなかった。
私がその資材置き場に近づくとさっきの子犬が寄ってきた。持ってきたパンと牛乳をお皿に入れて子犬の前に置いた。最初は警戒しながら舌をペロペロと出す。安心出来たのか凄い勢いで食べ始めた
「いっぱい食べな」そう言って私は美味しそうに食べている子犬を眺めていた。白いふさふさの子犬、可愛いなと思ってずっと見ていられる。横を流れる川の音を聞きながら、この子は何故ここにいたんだろうと・・・・・・お母さんとはぐれたのかな、捨てられたのかな?まぁなんにしても雨風を避けられる、この資材置き場は住むにはよいところかもね、なんて思っていた。
次の日、もちろん私はパンと牛乳を持って行った。もうお父さんとは走っていない、お父さんが走る朝に行かずに学校が終わった夕方に行くようにした。資材置き場は最近、使われていなさそうな雰囲気でたくさんの古い木材が積み上げられている。その隙間にこの子は住んでいたのだ。今日も入り口付近に餌を置いて呼んでみた。
「おーい。ご飯だよ」
ガサガサと音がして、その子犬が出てきて目の前に置いた牛乳を飲み始めてパンも食べた。
「明日は何か違うものを持って来てあげるよ」とその子犬に言った。
「そうだ名前があった方がいいよね」と問いかけた
「うーん、どうしようかなー」
悩んでいる間にもまだ食べている。その子犬を見てるだけで癒される時間だった。
「よし!明日までに決めてくるね」そう言って私は家に帰った。
一人っ子だった私にとってあの子は弟か妹みたいだった、「男の子なのかな、女の子なのかな」と考えながらどっちでもいける名前にしようかなと考えていた。兄弟が出来て嬉しいそんな気持ちだ。本当は私には姉がいたんだけど、姉は私が生まれてすぐ2歳の時に病気で亡くなったらしい。もちろんその時の記憶は無い。私は0歳だったから、私がまだ小さい時に姉の話をしたら私が怖がって泣いたらしい
「私も死ぬの」そう聞き続けたみたいで、それ以来、なんとなく姉の話はしないようになっていた。私に気を使っているのかな、もうそれくらいは理解出来る年なんだけど、今も姉の話はダブーっぽくなっている。まぁずっとそれで来てるから特に気にはならない。そんな事より明日何を持って行ってあげるかを悩んでいた。
学校が終わるといつもの資材置き場へと向かった。今日は資材置き場が見えるあたりであの子犬がこっちに向かって走ってくる。
「おー!待っててくれたんだねー」
いつもより離れた場所から子犬が私の足元で尻尾を振ってクルクル回る
「分かった、分かった、ちょっと待って」
そう言っていつもの場所まで一緒に歩き、今日買ってきたドックフードを出した。
「栄養満点だぞ」と言ってお皿に移し変えた。待ってましたと言わんばかりに食べ始める子犬、それをいつものように見ながら
「今日は、名前を発表します」と必死に食べている子犬に向かって、人差し指を立てて宣言した。聞いてなさそう
「名前はモコです」だってお前モコモコだから、と理由までつけたがもちろん返事もしない。
「まぁいいや、でも今日からお前はモコだ」
それから、モコと私の楽しい時間を過ごした。ボールを投げたら走って追いかけるモコ、足を広げて立っていたら、間を抜けるモコ、田舎道に座って川を見ていたら横で一緒に座るモコ「お前はほんとにかわいいな」モコの頭を優しく触った。
ある時、お母さんから、モコの事を聞かれた。お父さんは動物が好きじゃないと言う事は昔から知っている。でも別に家に迷惑かけてないし、放課後に遊んでいるだけだし、ドックフードだってお小遣いで買ってるだけだしと口答えする子供のように答えた。母はそれ以上何も聞いてこなかった。そう言えば、最近はお父さんとも話していないな、きっと怒っているんだろうけど、私だって怒っているんだ。あんなに可哀想な子犬を見てほっておけなんてよく言えたもんだよ。
前はお父さんの事は大好きだったけど、なんかモコの事があってちょっと嫌いだなと思っている。
でも、そんな事があっても、モコとの時間は楽しい。ドックフードも色んな種類を買ってきては、だんだんをモコの好みも分かるようになった。学校の事や友達の事もあるから毎日は行けなくなってるけど、3日も行けなかった事は無い。次の日来れなさそうな時は、多めにドックフードを置いておくようにしている。
そんなある日の事、お父さんから話があると言われた。
「お前、今もあの犬の事を構っているのか?」
「なんで?別にいいじゃん!」
結局、怒られるんだな。別に悪い事はしていないし家に連れて来た訳でもないし、ちょっと腹が立った
お父さんはそんなに怖い人ではない。あんまり怒らない人だ。そんな人相手でも今日は私が怒っているからお父さんを睨みつけた
お父さんは何も変わらなく、そのままのトーンで話し始めた。
「それで、どうするんだ?」
「別にどうもしないよ。ただ可哀想だったからご飯をあげたの悪い? そもそもお父さんには優しさとか思いやりとか無いわけ?」
「今にもさぁ死んでしまいそうな子犬を見て何とも思わないわけ?」
「だいたい動物が嫌いだからって言ってもさぁ嫌いだったら死んでもいいって事なの?最低!」
畳み掛けるように父を責めた。黙って聞いていた父が強い目つきで私を見返してきた。
「なぁ佳苗、人の手に掛かっていない犬や猫は人に見つかるとどうなると思う?」
質問な意味がよく解らなかったから
「知らない!」と答えた
「佳苗のように優しくしてくれる人と邪魔になるから保健所に連絡する人に分かれる、保健所に行けばどうなるか分かるよな」
ちょっとムカついたから
「何が言いたいの!」私は大きな声を出した。父の怒りのスイッチが入ったように見えた
「佳苗はあの犬をどうしてあげたいと思ったんだ!」
「助けてあげたいに決まってるじゃん!」
「だからご飯をあげたのか?」
「だから何!? 何が悪いの!」
大きく息を吸って深呼吸した父
「二週間後には、お前は東京へ行く。そのあとはどうする?」
「あの犬は結局自分の力で食べ物を確保して生きて行かなければならない、でも、あの子はもう食べ物を探す必要性を覚える事を知らない。お腹が空いたら人間が持って来てくれると覚えてしまった。分かるか? あの弱っていた時に誰も手を差し伸べてくれなければ、そのまま死んでいたかもしれん。でも、もしかしたら自分で狩りをして何か食べた可能性もあった。現にあの犬は雨を凌ぐ為に自分で資材置き場を選んだ。でも食事について学ぶチャンスはお前が奪ったんだ」
「あの犬はもうお腹が空いたらここで待ってればいいと覚えている。お前が東京に行ってしまった事も知らずに。仮にお前がもう明日からは自分で生きるんだよとか言っても、あの犬ずっとそこでお前を待つ。どれだけお腹が空いても明日来てくれるかもしれないと思って、あの犬はそう覚えている。あの犬に生きるチャンスがあったとしたら、それをお前の一時的な自己満足によって奪われてしまったんだ」
「それでどうする? あの犬の為に東京を諦めるか? それとも、私は東京へ行くからあとはよろしくとでも言うつもりか!」
「命を弄ぶな!」
そう言って父は二階の部屋に行ってしまった。
腹がたつけど何も言い返せなかった。正論だった。あの子、モコの事を真剣に考えたら、私は東京へ行けない。でもモコの為に東京を諦めるかと言われたら何も答えられない。私が東京へ行ったあと、いつ来てくれるか分からない私を待ち続けるモコの事を考えた事が無かった。そう思うとどうしようもない感情が溢れて来て涙が止まらなかった。
その横でずっと聞いていた母が
「ねぇ佳苗、お父さんは昔、子供の頃に犬を飼っていたらしいの、お父さんが生まれた時からずっと一緒に過ごしていたみたい、その犬が亡くなったのはお父さんが12歳の時、辛くて自分も死んでしまおうかと思うほど寂しかったって言ってた。それからね、もう一つの命、佳苗も知っているよね、お姉ちゃんの事、佳苗が生まれてすぐだったんだけど、あんな事になってしまって、それからお父さんは自分より先に死んでしまう生き物とはもう関わりたくないって言うようになったの」
「佳苗、お父さんの気持ちも分かってあげてほしいの、佳苗の優しさも間違っていないんだけど」
なんだか複雑な気持ちだった。もう本当にそれ以上何も言えなくなっていた。
次の日、モコに会いに行った
尻尾を振って走ってくるモコ、今日もドックフードを持ってきたけど、これは間違っているのかな、そう思うようになった。そんな事はお構い無しに嬉しそうに食べているモコ・・・・・・
「ごめんね」私は小さな声でそう言った
あれからお父さんともお母さんともモコとも気まずい、東京へ行く最後の日曜日、そんな気まずい時間を自分の部屋で過ごしていた。
もうすぐお昼、三月とは思えないほど今日は暖かい、窓を開けても心地よい風が入ってくいる。そんな風を感じながら東京へ行く準備をしていた時
「ワン!ワン!」庭から聞こえる
「え!? モコ」
窓から外を見た、そこにはお父さんが犬小屋を組み立てていた。その犬小屋の周りをモコが走っている。
一階に駆け下りた私
「お父さん、どうしたの?」
「まぁお前もいなくなる事だし寂しくなるからな、お前の代わりだ」と言って犬小屋の組み立てをしている
「おい!モコ、待て待て、まだ出来てないから」
お父さんの後ろには大きな袋がいくつかあった。色んな物を買ってきていそう、その中にモコの大好きなドックフードもあった。
「まぁモコの事は心配せずに東京で頑張って来い」そう言ったお父さんもちょっと嬉しそうに見えた。もちろん私も
東京出発の朝、借りていた本を返しにお父さんの部屋に行った、今日はお父さんの仕事が早くて会えなかったけど、その部屋の扉を開けて、本棚に借りていた本を戻して
「お父さん、ありがとう」と誰もいない部屋でお礼を言った
何気なく、ふと、お父さんの机の上に目をやった時、今まではなかった物がそこにあった。
片付けの時に隠したあの写真立てがこちら側を向いて並んでいる。お父さんの子供の頃の写真、横には犬が座ってた。
その隣にはお姉ちゃんの写真もあった。それで隠したのかとあの時の事を思い出した。
あの時、写真立ては二つしかなかったはずだけど、今はあと二つ増えている。私の写真とモコの写真だ!
私はその写真を見ながら、もう一度お父さんに「ありがとう」と言った。
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