人間万事塞翁が馬

人間万事塞翁が馬

彼女の家は、少し古い作りで和風と言う言葉が似合う家だった。玄関の前まで辿り着いた僕、横には一緒に彼女もいるのだけど、緊張が止まらない。

「大丈夫、まだパパは帰ってないから、ママしかいないよ」

テレビから流れるニュース速報のように、その言葉が僕の頭を駆け抜けた

「ママしかいないよ」これは良いニュースだ。ただ僕にとってそれが大丈夫の理由にはならない。なぜなら僕は、有紀のお母さんに会う事も初めてなのだから・・・・・・

でもそんな事も有紀には関係がなさそうで、なんの緊張感も無く、その玄関を開けた。

「ただいま~」

緊張にはきっとステージがあって、その緊張感が一つステージを上げたようだ。

まっすぐに廊下の先を見つめている。僕の前に有紀のお母さんが現れた。

「こんばんは、あ、あの、始めまして、あ、あの」

「友則君ね、初めまして、有紀の母です。」

僕の緊張を察したのか言葉に詰まっていた僕をフォローするように挨拶を返してくれた。

「友則君、緊張しないで、私はあなたの味方ですよ、さぁどうぞ」と言ってくれた。

今日の日の為に用意してくれていたかのように新しいスリッパが二つ並んでいて、一つを有紀が履いた。僕も続けてそのスリッパを履いて初めての有紀の家にお邪魔した。


奥の和室に通された僕、そこに立っているのがやっとの状態だ。

明らかに僕の為においてくれているであろう座布団もまるで立ち入り禁止区域のような空気がある。

「どうぞ、座って」

その言葉を聞いて、足で踏まないように一旦膝をついて、その膝からゆっくりと座布団に上がった。もうちょっと礼儀作法を学んでおくべきだったと後悔しても今となってはもう遅い。今持ち得るすべてを出して、礼儀正しい人と思ってもらえるように尽くすしかない。

「友君そんな緊張しなくても、まだパパはいないのに」

そう言う有紀に

「あぁ」と答えてはみたものの、それはフォローにはなっていない。

とりあえず心を落ち着かせようと周りを見る。外見は古そうに感じたが中はとても綺麗だ正面には床の間があって掛け軸が掛けられている。その掛け軸にはぼんやりとした背景から流れ落ちる滝が描かれている。その下のほうに名前が書かれているが、その名前は読めない。まぁ読めたところでこうゆうものを書いている人の名前なんて僕は知らない。

「友則君は、お茶でいい?」とお母さんが聞いてくれた。

「あっ!はい!ありがとうございます」

なぜだろう、人は不意な質問に答える時は必ずと言っていいほど「あっ!」がつく

それとこの場面において「お茶でいい?」と聞かれ

「僕、コーヒーお願いします」などと言える人はいるのだろうか?もし、そんな事を言う人がいたら、お母さんの印象はどうかわるのだろうか?そう考えたら、「はい!」以外の選択肢を選べるはずもない。僕の前にお茶が運ばれてきた。なんとか焼きなんて名前がついていそうな湯飲みセットが僕の前に

これは今飲んでもいいものなのか?ちらっと有紀を見てみたが有紀はこちらを見ていない、注がれた飲み物は一度飲むのが礼儀だったような記憶があったのでとりあえず一口だけ飲んだ。お茶を口にした時に横にあった襖の上の欄間に目が行った。竹と笹の形をしっかりと彫り込んだ立派な欄間だった。

もしかして、有紀ってお金持ちなのかな?しばらくその欄間を見ていた。

玄関の方から音が聞こえる。とうとう来た。いつか来るはずだったこの時が今そこまでやって来ている。もう逃げる事は出来ない。僕が入ってきた方ではない、その横の襖から、その人は入ってきた。


第一印象とはすごいもので1秒で分かった。この人はきっと恐い。それを認識するに値するには十分すぎる風貌だ。まったく気にしていなかった玄関でのお母さんのあの言葉を思い出した。

「私はあなたの味方ですよ」たしかにお母さんはそう言った。

それは逆を返せば、お父さんは僕の敵になると言う事なのか、今この目の前にいる、この人が僕の・・・・・・

勝ち目が無いと判断するまでものの数秒だった。

お父さんが僕に目を合わせてから、すぐ有紀を見た。それを僕は見逃さなかった

有紀はお父さんの方を見ながら口を堅く閉じて、小さく頷いた。

そう僕は今からたった一人の戦いが始めるしかないのだ。

僕は僅かな望みを賭けて、お母さんを見てみた。お母さんは目線を逸らすどころか表情も確認出来ないほど後ろを向いていた。一人でやるしかない、その決意を持って僕はお父さんの方を向き直した

「は、初めまして、あの、ぼ、僕は、あの」

緊張感にはやはりステージがある、もう人生においてこれ以上のステージはないだろうと思うほど緊張している。心臓から送り出される血液はまるで沸騰しているかのように熱く全身を駆け巡る、その血液の進む体の箇所が厚くなり痺れてくる。そしてその熱い血液が頭に辿りついた時、一気に頭が真っ白になった。今それを体感している。しかし頭が真っ白になってました、えへへ。と言うような空気ではない。その緊張感の中、お父さんはテーブルの天板ぐらいの高さを見つめている。僕の方を見てはいない。

「あ、あの」

怒らせているのかもしれないと思えば思うほど言葉は出なくなる。

正座している足だけでなく膝の上に置いた手も痺れてきた

もう一度、有紀を見た、有紀は俯いたまま、お母さんは斜め後ろを向いたままの感じだった。お母さんの斜め後ろには掛け軸しかないんだけど、なんでこんな時に掛け軸を見ているんだろうと思った。

もうどうしようもない。

「あ、あの、おと、おとうさん、あの」

やばい、お父さんとか言ったらダメじゃないか・・・・・・まだ自分の名前も言えてないのに、お父さんは相変わらず、下の方に目線が向いている、もちろんこっちをまったく見ない。もう今日はなんとか理由をつけて帰りたい。そう思うようになっていた。

空気はどんどんと冷え込み、部屋は寒くないのに肌が露出している部分はチクチクと痛むぐらいの冷たい空気なった。もう凍えてしまいそうな空気、助け舟は来ない。準備が足りな過ぎたのかもしれない。

いや、でもお父さんも悪いと思う。今日は来る事は知っていたはずなのに、そんなに無視しなくても・・・・・・

たとえこんな状況でも挨拶だけはしないと、

「あの、僕、あの、有紀さんと、お付き合いさせ・・・・・・」

ガチャ!と玄関から音がした。誰かお客さんが来たようだ。

その音に誰も反応しない。気のせいだったのかな?せっかくいいところだったのにと思いながら、もう一度やり直した。

「あの、有紀さんと、お付き合いさせていただ・・・・・・」

その瞬間、この部屋にあの玄関の音の主であろう人が入ってきた。やっぱり誰か来てたじゃないか!もうせっかく頑張って言ってたのに、こんなタイミングで来客とはついていない。

お客さんが来た事によって僕は少し黙った。とりあえずの僕のターンは休憩となりそうだ。その来客はお父さんと同じ場所から入ってきて、お父さんの隣に座ろうとした。その時、僕の方をチラッと見た。僕もその人を見返した、この人も一瞬で分かるタイプの人だ怖そうなタイプの人、でも今の僕はこの人の事はどうでもいい

僕は全力で今ちょっと迷惑なんですけどと言う気持ちを目でアピールしながら目線を逸らした。

でも緊張感が少し和らいだ感じがする。それは今喋るのは自分では無いという安心感から生まれているものだと言う事は分かっているのだけど、ただこの状態で誰も喋らないのはおかしいと思う。沈黙が続き・・・・・・冷静に考えたらそんなに長い時間ではなかったかもしれないけど僕には長く感じた、その沈黙、それを破ったのはお客さんだった。

「今、どうゆう状態?」

その瞬間、後ろを向いていたお母さんが吹き出した。立て続けて、有紀もお父さんも吹き出した。

「ごめんね、友則君」笑いが止まらないお母さん

「ダメだよ、こんなの有紀ちゃんもほんとに」とお父さんが言った

「ごめんね~」と有紀も笑っている

何がなんだか分からないけど、とりあえず僕も笑っておいた。

「それで?どうゆう事」一人笑ってない人がいる、それがお客さんだ。

「違うんだよ、兄さん、有紀ちゃんがね、こうしろって言うんだよ」

「私、言ってない言ってない~勝手におじさんがそうとったんでしょ?」

「いや最初、俺が入ってきた時、もしかして挨拶かなって思ったんだよ。そしたら彼がすぐに挨拶をしようとしたから、有紀ちゃんに説明してもらおうと思って有紀ちゃんの方を見たら、続けてって言う表情してたんだよ」

「してたしてた」お母さんが言った

ちょっとまだ状況が理解出来ていないけど、お客さんらしき人が、もしかしてお父さん?

「そうゆう事か」

そう言ったのは、お客さん、いやきっとお父さんなんだろう。

って事は今まで居た人はお父さんの弟さんだったのか!その時、一瞬にして新しい不安が発生した。そうあの時、今ちょっと迷惑なんですけどと言う気持ちを目でアピールした目線を思い出した。あの目線は自分でも分かっている間違いなく、怪訝そうな態度を取っていた。

もう、本当に今日は最悪の一日だ。そしてもう取り返しもつかない。

完全な敗北だ。僕は負けを宣言せざるを得ない状況となった。

今は謝るしかないと判断した僕。即座に

「お父さん、すみません、さっきに変な態度をとってしまって」

少し首を傾げたお父さんが僕の方を見ながら

「友則君だったかな?ほんとにごめんね。みんなも友則君に謝りなさい」

「ほんとに悪かったね」

そう言って頭を下げてくれた。まったく怒ってなさそうだ。

「いえいえ、そんな全然大丈夫です」

「申し訳ない、紹介が遅れてしまった、私が有紀の父の博です。そして俺の振りをしていた悪いやつが弟の浩二だ。それで、あっちが妻の良美。いつも有紀がお世話になっているみたいで」

まるでテーブルに頭が着くような丁寧な挨拶をしてくれた。

「悪いのは有紀ちゃんだよ、ほんとに俺は一言も喋ってないんだから、もう」

「私も何も喋ってないよ」

そんな会話の中にお母さんが入って

「いや、有紀が悪いわ」

「よっちゃんだって、私は知らないって顔してたじゃんか」

楽しそうな言い合いを続ける三人を見て

「もう友則君の前で止めなさい」

お父さんがそう言って三人の言い合いを制止した。

「え!お父さんが友君の味方なの?」

有紀が茶化した。

「そりゃそうだ、みんなで、よってたかって、あんまりじゃないか」

「でも、お父さんって友君の事どっちかって言うと認めてなかった感じだったのにどうして?」

有紀の一言が今日一番のダメージを僕に与える事になった。

「え!?」

「いや、そんな事はないよ、そりゃ大事な娘なんだから、何年も挨拶がなかった事を考えたら、少し嫌な気持ちもあったさ、でも今はもう思ってないよ。いい人なんだなと言うのは十分に伝わったから」

さっきまで僕の周りをキンキンに冷やしていた空気も一気に春を迎えた気分だった。

「これは結局、俺のおかげじゃないのか?」

と弟さんが言ったのを皮切りにまた始まった三人の言い争い。それも楽しそうに

「おじさんは関係無いよ、私のおかげよ」

「いやお母さんのおかげだわ、だってお母さんだいぶ我慢したのよ」

「なんでぇ?、耐え切れなくて、ずっと後ろ向いてたじゃないか」

両手を広げて大きなジェスチャーをしながら誰のおかげかを争っているのを見ているととても楽しい気分になった。


「こいつらはいつもこうなんだ、ごめんね、友則君」

「いえ、僕も楽しいので嬉しいです」

「あ!お父さん、きちんと挨拶させて下さい」

僕は少し緩んでいた姿勢をもう一度正して、お父さんの方を向き直した。

お父さんも姿勢変え正座した。その瞬間またあの緊張が走った。沸騰するような血液が一気に体中を駆け巡る。さっきまで笑っていた三人もピタリを会話を止め、こちらを向いている。

「あ、あの、僕」

大きく息を吸い込んで少し上を見た、あの竹と笹の形をしっかりと彫り込んだ立派な欄間をもう一度見て、ゆっくりと息を吐き出して、お父さんの方をしっかりと見た。

「お父さん。三年ほど前から有紀さんとお付き合いさせてもらっている、長谷川 友則と言います。ご挨拶が遅れてすみませんでした。これからも真剣にお付き合いさせてもらいたいと考えております。よろしくお願いします。」

僕はそう言って精一杯の誠意を持って頭を下げた。

その瞬間、

「おぉー」と言う歓声と共に拍手が起きた。その時自分が始めてきちんと言えた事に気づいた。でもお父さんの返事がまだ無い。ただ無駄に拍手と歓声が続いていた。

「こちらこそ、有紀をよろしくお願いします」

更に歓声は大きくなった

「よかったじゃん」

と笑いながら言っている有紀はもはや他人事のようだったが、結果的にこうゆう空気にしてくれたから上手くいったのかなと思えた。

あの緊張感がなければ、このように伝えられなかったかもしれない。

「友則君、お酒はいけるかい?」

「はい!」

人生でこれほどまでに良い返事をした事があっただろうかと言えるほどの力強い返事をした。


今もまだ、誰の手柄かで盛り上がっている三人を横目にお父さんは僕にビールを入れてくれた。

「今日は色んな事があって大変だったね」

「はい、疲れました。もう緊張しすぎてどうなる事かと思いました。お父さんにも失礼な態度をとってしまってすみませんでした」

「結果的によかったじゃないか。あの雰囲気で私も変な緊張感がとれて助かったよ」

「人間万事塞翁が馬だな」

「え!?」

意味が分からなかったけど、どうゆう意味か聞けなかった。それを察したお父さんが

「人生は何があるか分からんと言う諺だ、私の座右の銘なんだ、友則君も覚えておくといい。」

「はい!ありがとうございます」

正座したままの僕は感謝の気持ちを込めて頭を下げた。

きちんとした意味は分からないままだが自分もこの言葉を座右の銘にしようと決めた。もちろんあとで検索する事は決まっている。

そう思いながら横で手柄争いをしている三人にみんなのお陰ですと小さくつぶやいて。僕はさっきの空気に負けないほどよく冷えたビールを喉に流し込んだ。

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石橋を叩いて壊す。渡らなければ怪我はしない。そんな生き方をしてきた私が、何を思ったのか新しい事にチャレンジしてます。いつか短編小説を本として出したいと言う目標を持って小さな一歩を踏み出しました。パソコンが得意では無く、もちろん物語など書いた事がない私がブログ書いて行こうと思います。